岡田武史が考える監督業とは?

冴える岡田武史の采配!“ジョホールバルの歓喜”

 皆さんはサッカー日本代表の試合の中で最も印象に残っている試合を挙げるとするならどの試合を選びますか?“ドーハの悲劇”として語り継がれているイラク戦、日韓W杯において日本史上初勝利を果たしたロシア戦・・・この2試合などは挙げる人が多そうですね。でも、ひょっとすると一番多いのは“ジョホールバルの歓喜”とのちに呼ばれることになるフランスW杯出場をかけたイラン戦ではないでしょうか。私なんかはそれを選びますね。

 岡田武史体制のこのときの日本代表。その試合を簡単に振り返ってみると、日本は前半39分、中山がゴールを決め大一番で先制点を奪うことに成功。しかし、後半に入り立て続けに失点し、瞬く間に逆転を許すことに。ここで岡田監督は交代のカードを切り、城、呂比須を投入。この交代が当たり、後半31分に城のヘッドが決まり、再び試合は振り出しに。同点で延長戦に入ると、岡田は再び交代のカードを切り、野人・岡野を投入。まさしく試合は死闘の様相を呈してきました。

 結果的にこの采配もズバリとはまり、延長後半終了間際に中田が放ったシュートのこぼれ球に詰めた岡野が、スライディングしながらゴールに押し込み劇的な勝利。日本が初のW杯への切符を手に入れた記念すべき瞬間でした。このときのゴールまでの一連の流れ、そして、岡田監督が両手を突き上げながら猛然とピッチにダッシュしていく姿は、10年近い月日が経過した今でも鮮明に思い出されます。私は「岡田武史」という人物について冷静な理論家という印象をもっていたのであの喜びようには驚きましたね。

 

岡田武史が考える監督業とは?

 岡田武史氏は日本代表監督を初め、札幌や横浜FMなどいくつかのチームの監督を務めてきました。そんな岡田武史にとっての「監督業」とはどう映っているのでしょうか。

 岡田氏はかつて名古屋グランパスの監督も務めたアーセン・ベンゲル氏にこういわれたことがあるといいます。

 「サッカーの監督とは、1%の成功した者に対し99%の失敗した者が羨むような仕事だ」「サッカーの監督とは、阿片のようなものだ」

 つまり、その毒を一度口にしてしまうと、もうやめられないというわけですね。

 その点、最初から代表監督という「最高の毒」を味わうこととなった岡田氏は、あの体中がゾクゾクする興奮や、緊張感というものは、日常生活では味わえないといいます。確かにそれ以上の緊張感を味わえることというのはそうはないでしょうね。

 また、日本代表監督を辞めた後は、静かに暮らしたいと考えていたそうなのですが、ダメだったとか。それもこれもあの「最高の毒」の味を忘れられないからに他ならないのでしょう。

 そして、監督の仕事とは「何」か?という問いには、合理的にどこまで最善の試合を組立てれるか、ということじゃないかと答えています。様々なデータを頭にインプットし、その要素を分析し、どのようなチームを作り、どのような試合内容に持っていくのか、ということを組立てるわけです。そして、そこから戦術や選手起用や指示する、と。その組立て方に基づいた作戦指示が、どこまで合理的に出来るかが勝負だと岡田氏は考えているようです。