オヤケアカハチの碑

琉球王国

 石垣島は、沖縄県に含まれます。沖縄は、非常に複雑な歴史を経て今日に至っています。そもそも沖縄というのは、「琉球」という名称に対して、日本の本土側が呼んだものです。琉球が処分された後に、日本の領土であることを明確化するために、それまでの「琉球」から「沖縄」へと改められたのです。

 中国では昔から、沖縄を「大琉球」と呼び、台湾を「小琉球」と呼んでいたといいます。そのため、史書などの記録では、両者を混同してしまうことがよくありました。

 鑑真の伝記『唐大和上東征伝』には、「阿児奈波」という名称が出てきます。これがおそらく沖縄という言葉の初出でしょう。琉球が処分された際に、琉球王国が滅亡し、代わりに沖縄県が置かれることになりました。そして「沖縄」が正式に採用されることになったのです。ちなみに、沖縄の人々は、「ウチナー」という言葉を用います。これは、「オキナワ」の転訛です。主として沖縄本島のことを指すのだそうです。

 沖縄を訪れたら、琉球舞踊を観る機会があるかもしれません。琉球舞踊の起源は、中国からの冊封使を歓迎するための宮廷舞踊であった、「御冠船踊り」といわれます。すべて貴士族の子弟のみによって踊られたものです。古典舞踊というのは、宮廷舞踊のことを明治以降の舞踊と区別するために用いられる呼び名です。老人踊り、若衆踊り、二才踊り、女踊り、打組み踊りなどが、古典舞踊に含まれます。石垣島で海を楽しみ、おいしい料理を食べながら琉球舞踊を楽しむのもいいかもしれませんね。

 

オヤケアカハチの碑

 海はすばらしく、サンゴ礁が見事な石垣島。また、唐人墓など、興味深い史跡もたくさんあります。その他、ちょっぴり変わり種ではありますが、案外、穴場ともいえる観光スポットが、「オヤケアカハチの碑」です。

 はたしてこの碑、いったいなんなのでしょうか?

 そのまえに、皆さんは、特撮番組としてあまりにも有名な「ウルトラマン」をご存知ですよね? あのウルトラマンに登場する怪獣「レッドキング」は、実はこの「オヤケアカハチ」がその名前の由来であるといわれているのです。脚本を担当した、金城哲夫は沖縄県出身でした。彼は、地球人と宇宙人との板ばさみに悩むウルトラマンが、沖縄の立場に似ていると考えたのだそうです。

 その「オヤケアカハチ」は、漢字では、「遠弥計赤蜂」または「於屋計赤蜂」と書きます。彼は、現在の石垣市大浜である、八重山諸島石垣島の大浜村をその根拠地とした豪族でした。15世紀末に活躍し、別名、「ホンガワラ」ともいわれます。漢字では、「保武川」、「堀川原」、あるいは「保武瓦」と書きます。

 オヤケアカハチは、波照間島で生まれました。幼少の頃から豪傑で有名だったそうです。その後、海を渡り、石垣島へ行きました。そして石垣島の大浜村に居を構えたのです。そして石垣島内の有力豪族として勢力範囲を拡大しました。石垣村の豪族の妹を妻にし、その一族と義兄弟の契りを交わしたといいます。しかし、宮古諸島の仲宗根豊見親とは対立し、それが原因で首里の尚真王が介入することになりました。これが首里王府に反旗を翻した、ということで戦いへと発展しました。この乱は、オヤケアカハチの乱と呼ばれます。彼はこの戦いで、尚真王が派遣した征討軍3,000人に敗北したのです。そして討ち取られたといいます。

 石垣島には、「フルスト原遺跡」という、オヤケアカハチの居城跡といわれている跡が残っています。