岡田武史と堀江先生

マリノス監督辞任から代表監督復帰までの岡田武史の空白期間

 イビチャ・オシム監督の入院に伴って岡田武史氏が日本代表監督に復帰されましたね。そういえば、昨年8月に横浜Fマリノスの監督を辞任してから今回代表監督に復帰するまで空白期間がありますが、その間は何をしていたのでしょうかね?

 実は辞任してから次に何をしようかを具体的に考えていなかったらしく、8月から年内の間は、まったく働かなかったそうです。すると奥さんの機嫌が次第に悪くなってきたそうで、冷蔵庫の中のビールがそれまでエビスだったのが、少し安いのに変わり、今度は娘さんと「発泡酒にするか」などと話したり。そして、これによって「これは働かなくてはイカン!」となったらしく、「元監督岡田武史」として講演活動を始めることに。

 その後、以前から深い関心があったという環境問題だとか難民関係にも積極的に関わりを持っていったそうです。難民関係では、難民フットサル、カンボジアにおける地雷除去フットサルの支援、電動車椅子サッカーのW杯の支援をしたりしていたみたいですね。

 そんなサッカーの指導とは別のフィールドで活動を続けていた岡田氏ですが、不思議とサッカーが恋しくなったりはしなかったとのこと。サッカーから距離を置いてみると、経済人や芸術家など、それまでとは違う人たちとの出会いが実現されるようになって、とても充実したものを感じていたそうですね。今までとはまったく違った世界なので毎日が新しい発見の日々なのかもしれないですね。

 ですが、サッカー界にはいつかまた戻る予感はしていたそうです。結果的にはその通りになりましたね。

 

岡田武史と堀江先生

 岡田武史氏にとって人生において大きな刺激や影響を受けた人物はいるのだろうか?と気になって調べてみたら、一人いるみたいです。母校・早稲田大学の政経学部の先生で、同時にサッカー部の部長を務めていた堀江教授という方だそうですね。

 岡田氏は高校3年生のとき、早稲田を受験するもものの見事に落ちました。そのとき、当時サッカー部の部長だった政経の堀江先生から手紙が届いたそうです。

 「君は合格最低点の半分しかとれていません。これでは一年間でどれだけ勉強をしようが無理ですから、来年は体育を受けなさい」

 手紙にはそのようなことが書かれていたのだとか。ただ、それを読んだ途端、岡田氏はもう絶対体育は受けない、と思ったんだそうです。意外と言っては失礼かもしれませんがなかなか負けん気の強いところがあったんですね。

 そして岡田氏はその精神を胸に必死で勉強し、見事早稲田の政経に合格することになりました。

 岡田氏は「早稲田に入って良かったことは?」と問われた際、政経の堀江教授との出会いを挙げています。政経の教授であり、サッカー部の部長でもあって、四年時には堀江教授のゼミも取っていた。また卒業時、古河電工への入社が決まった際も、卒業直前になって、試験の点数が足りなくて留年の危機に陥ったことがあるのだそうです。そのときも堀江教授の尽力によって、どうにか卒業にこぎつけたのだとか。

 堀江先生のどこに影響を受けたのか?という問いには、「学問的というか堀江先生の生き方のようなものに影響を受けた」と話しています。今の「岡田武史」を形成したものとして少なからずこの人の影響もあるんですかね。