岡田武史の学生時代の経歴

岡田武史の古河電気工業サッカー部時代

 オシム監督の入院を受けて、次期日本代表監督に就任した岡田武史氏。では、そんな岡田武史監督の現役選手時代とはどのような選手だったんでしょう?

 大学までサッカー部に所属していた岡田さんですが、進路決定の際、サッカ部がある実業団ではなく当初はマスコミへの就職を希望していたそうです。ですがそれは叶わずに終わり、1980年の大学卒業時には古河電気工業サッカー部に入ることとなります。このサッカー部は現在のジェフユナイテッド千葉の前身となるチームですね。

 ポジションはディフェンダー。頭脳的なディフェンスを武器に活躍をみせ、清雲栄純監督の下、86年のアジアクラブ選手権での優勝にも大いに貢献しました。

 また、1990年にドイツの名門クラブであるバイエルンミュンヘンとの試合にも出場し、チームは1〜2で善戦するも敗れましたが活躍を果たしたそうですね。当時34歳だった彼の飽くなき向上心は強く、まだまだ現役生活を続けるつもりでした。ですが、この試合でのプレーによって、海外クラブの選手との埋めることのできない差を身をもって実感することとなり、引退を決意。また、このときが日本人が海外の強豪クラブを相手にどうすれば勝てるようになるのだろうか、という指導者への道を模索するキッカケとなったようです。結局、この古河電気工業では1980〜1990年までの11年間プレーしました。

 現役時代もなかなかいいプレーヤーだったみたいですね。

 

岡田武史の学生時代の経歴

 先日、サッカー日本代表の次期監督に就任することが決まった岡田武史氏。2度目の日本代表監督に就任したこの岡田武史氏ですが、彼の学生時代はどのような経歴だったのでしょうか。

 実は意外かもしれませんが、初めからサッカーをやっていたわけではないみたいです。帝塚山学院小時代は少年野球に明け暮れており、また、南海ホークスの応援に大阪球場へ通うという野球少年だったんですね。

 サッカーに目覚めたのは中学に進学してから。部活動を決める際、野球部を見て上下関係が厳しいと感じ、自分には向いてないと思い野球は断念したんだそうです。そしてメキシコオリンピックでのサッカー日本代表の活躍を見てサッカーを始め、熱中していくこととなりました。

 青年時代は、五木寛之の『青春の門』など、早稲田大学が登場してくる小説を読んだことに影響を受け、早稲田大学への入学を目指しました。中学から始めたサッカーはメキメキと実力を付けていき、天王寺高校3年時には高校生では3名だけとなるユース代表にも抜擢され、クウェートで開催されたAFCユース選手権に出場。そして、1浪を経て早稲田大学政経学部に合格を果たします。

 大学生活の当初はサッカー同好会である稲穂キッカーズに入り、本格的な競技サッカーからは離れていたそうです。ですが、早慶戦の少し前になってサッカー協会の人に説得を受け、早稲田大学ア式蹴球部に入ることを決断し、以後DFとして活躍しました。また、在学時に学生結婚もしています。